ABOUT秀山窯について

400年の伝統を紡いできた小石原焼。

1975年に豊かさと潤いをもたらす生活用品として、陶磁器として初めて伝統的工芸品に指定されました。今日でも「暮らしの中で使われる器の美」を追求しつづけ、伝統の上に、新しい歴史を築いています。

1975年より生まれた、Shuzan blue
50年余りに渡り、初代秀治 二代目重信 三代目武士へと伝承され現在に至ります
この藍色を先代から子へ、子から孫へ受け継いでお使い頂く事。
それこそが、私たちの喜びです。

初代

初代代表作品画像

先代秀治は、民芸運動が広がる中、柳 宗悦、バーナード・リーチらが小石原焼きを訪れ、小石原焼きの飛び鉋、刷毛目、流し掛けといった技法に触れ「用の美の極地」と賞賛した頃、轆轤職人として渡り、小石原焼きの作陶を始めました。その後昭和49年秀山窯を開業し、独自の釉薬を生み出す為、 (釉裏紅)辰砂釉薬、油滴天目など釉薬の持つ表情を追求しました。
暗中模索を繰り返しながら没頭する日々、そんな作陶の毎日を送って数年後、ある日窯出しをした器に小石原焼の灰釉や緑青釉、辰砂釉、天目、灰色や緑、赤や黒どの色とも違った青の表情を持つ器が生まれていた。
秀治は驚きまた喜び偶然に出た藍色の釉薬を追求し、秀山blueの礎を築きました。

1918年
生まれる
1950年代
三川内、有田にて、轆轤の渡り職人として各窯元を渡り歩く。
1965年
現 東峰村 宝珠山 宝珠焼へ職人として招かれる。
色釉を得意とし、油滴天目釉、辰砂釉など、九州北部には当時珍しい色合いの器作りに専念。
1975年
現 東峰村小石原鼓 鶴 に秀山窯を開窯。1988年没。

二代目

二代目代表作品画像

高校を卒業後、東京でサラリーマン生活を送った後、昭和49年、秀山窯の開業にあたり陶芸の道へ入る。
繊細なラインを好み板作りの持つ多様な成形に惹かれ、器を作り始めた。
また、先代父が生むみ出した藍色の釉薬と、地元東峰村の廃坑になった鉱山から染み出す鉄分の多い鉱物をうわぐすりに精製した鉄釉と、先代が生み出した藍の釉薬を一つの器に組み合わせるなど、釉薬の持つ表情を増していきました。

1950年
生まれる。
大分県立日田林工高等学校卒業後、電気機器メーカーにて7年間のサラリーマン生活。
1975年
父 秀治に師事。父と共に全く新しい藍釉を開発。藍釉掛け分けの礎を築く。
1988年
二代目秀山を襲名。シャープな陶板作品を得とし、現在に至る。

三代目

三代目代表作品画像

幼少期から先代の祖父、父の作陶を見ながら育ち、窯大を卒業後NZへ研修に行き、本格的に秀山窯へ入る。
小石原の陶土を轆轤挽きで成形し、現代の生活に合う、暮らしに寄り添う器であるように、日々土に向い作陶をしています。時代とともに移り行く生活スタイルに風化しない、いつの時代にも手から手へお使い頂ける器でありたい。
先代から受け継ぐ釉薬 Shuzanblueの表情にもその時代の感覚を重ねるよう作陶を続けてます。

継承を続ける釉薬 Shuzanblue。
共に作陶をするパートナーと今までの藍色の釉薬の表現の幅を広げ、深海の様な蒼、夜空に掛かる天の川の様な光景を思わせる作品表現を夫婦共に日々作陶致しております。

1975年
生まれる。
1994年
佐賀県立有田窯業大学校ろくろ科入学。同大学校卒業後、父 重信に師事。
1998年
県展入選(以後二度入選)
1999年
ニュージーランド ネルソンに作陶留学。
2003年
西日本陶芸美術展 第二部用の美部門 優秀賞受賞。
2007年
天草陶磁器展 小川哲男賞受賞。
2011年
西日本陶芸美術展 第二部用の美部門 優秀賞受賞。
2015年
西日本陶芸美術展賞 入選。現在に至る。

幼少期、骨董好きな父と美術館や窯元巡りに連れて行く祖父。その影響もあって、物心つく前から買ってもらったティーカップセットに、紅茶とクッキーを楽しむ。ちょっとおしゃまで、ちょっと背伸びした子供でした。
母がフライパンでゴマを煎り、それをわたしがすり鉢でゴリゴリ摺る香ばしい匂い・お手伝いをすると母の喜ぶ顔。 イチゴを入れる、金使いの取手の付いた大きなカップ。
練乳をたっぷりかけて、家族みんなの美味しい顔。
進路に迷いながらも、飛び込んでみた窯大。
轆轤・鍋島様式の下絵・柿右衛門様式の上絵、石膏を型取り、作る器。
5年間見るもの・教わるもの、毎日が楽しく作陶人生の礎を築いた大切な時間でした。

夫と出会い。秀山blueと出会い。共に器や作陶について語らい、20年近く経ちました。三人の子供たちに恵まれ、日々の暮らしをしながら器を作っています。
誰かのほっこりと幸せな思い出に、私がつくる器があるといいなぁと思います。

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